SSブログ

信長の野望創造PK攻略 「長篠の戦い」武田家初級プレイ1 [信長の野望創造PK]

DLCシナリオ攻略の旅も第3弾、
ここからは織田や豊臣といった肥大化した中央勢力と戦うことが求められます。
今度は「長篠の戦い」を武田家でプレイしていきます。今回は新勢力を設けません。
理由は戦国伝とイベント会戦があるためです。

本格的にプレイする前に初級で試しにイベント会戦をやったのですが、
これが本当に難しかったです。初級なのにギリギリで信長を倒せたというレベルです。
関ヶ原の戦いの家康よりも強いのではないかと思える位です。
関ヶ原の戦いの西軍は誰も敗走させないで敵を倒していけば、
物量で逆転できますからね。
関ヶ原の戦いを西軍で勝つのは中級でもできたのですが……
なので、今回は難易度初級でプレイしていきます。
ただし、直轄範囲は無制限、敵勢力の物資収入と労力を「多い」としました。

2015_06_05-09-25-46-262.jpg

今回の難易度設定。イベント会戦のことを考えた結果このようにしました。


悲愴な運命から逃れるために


信長の野望創造PK攻略 「厳島の戦い」浦上/宇喜多家中級プレイ7 [信長の野望創造PK]

尼子家を倒したところから再開です。
今回で天下平定までやっていきます。

東海方面で桶狭間の戦い、松平家再興、織田家と浅井家の婚姻イベントが立て続けに発生する中、
石見国浜田城を本拠とする呉からの1年間の同盟要請を承諾して東進。

別所家と山名家を1560年11月に撃破しました。

内政をまったりしていた1561年4月、大内家に反宇喜多連合を組まれる形で
宣戦布告されました。

2015_05_15-20-27-38-160.jpg

反宇喜多連合結託。大内に工作していましたが、それが水の泡に……

一気に天下平定させます


信長の野望創造PK攻略 「厳島の戦い」浦上/宇喜多家中級プレイ6 [信長の野望創造PK]

戦国伝を全てクリアして、宇喜多直家が戦国大名となりました。
その直家が戦国大名としての浦上家を完全に滅ぼしたところから再開です。

浦上討伐後は北上して尼子家を攻撃、美作から尼子家を追い出して八橋城まで制圧しました。
が、尼子晴久隊が陥落した八橋城を取り戻しに来たので、直家を後詰として送りました。
八橋城前で会戦にて、三村家親暗殺で功を立てた遠藤俊通の「狙撃」を
駆使して晴久を撃退しました。狙撃がここまで強い戦法だとは思いませんでした。

これまであまり使わなかった狙撃を連発する理由


信長の野望創造PK攻略 「厳島の戦い」浦上/宇喜多家中級プレイ5 [信長の野望創造PK]

曹操と浦上家の戦いに仲介してきた三好家と同盟したところから再開です。

 1557年2月にマエリベリー・ハーンが登場(秘封倶楽部の片割れ、浦上一門として登場)。
特性と知略、政治はまずまずという文官です。「小泉メリー」の名義で出しています。
小泉姓の由来はメリーと八雲紫の関係と小説家・小泉八雲です。
ちなみにもう一方の宇佐見蓮子はと言いますと、赤松家臣として出現していました。
しかもちゃっかり本城の姫路城主として待ち構えているという構図です。

翌月には1556年に出てきていた姫(架空姫、メリーの妹扱い)を直家に嫁がせました。
史実とは逆のパターンです。宗景の娘が直家に嫁いだのですから。

2015_05_15-00-41-50-899.jpg

直家を浦上一門に引き入れる縁組。浦上一門衆に秘封倶楽部の2人がいるから価値がある。


この赤松戦は兄弟喧嘩の延長戦じゃないかと思えてきました。
何せ宗景の娘婿・直家と政宗の子(宗景の姪)扱いの蓮子が直接とは言いませんが、戦いましたし。

室津城、姫路城、御着城と攻略して1557年9月に赤松家を滅亡させました。
するとまたもイベントが発生しました。
イベント内の「浦上の血を引く者」は史実では浦上政宗の孫なのですが、
今回は政宗が生きていますからね、別に探す必要すらないというのが今回だったりします。
そして「宇喜多直家を浦上家に残す」が提示されました。

2015_05_15-01-23-46-643.jpg

直家の処遇に悩む宗景。追放すれば浦上家は安泰でしたが……


戦国大名・宇喜多直家、始動


信長の野望創造PK攻略 「厳島の戦い」浦上/宇喜多家中級プレイ4 [信長の野望創造PK]

直家との因縁が深い連中が集まった松田家を1556年1月に滅ぼし、
備中高松城を三村家から強奪して戦国伝「狙撃」は達成したところから再開です。
松田家は新勢力なので戦国伝に一切関係しませんが。

そして、遂に直家が主家である浦上家に謀反を起こします。
それを描いたのが今回の戦国伝「下克上」です。
下克上はこの乱世のトレンド(流行)とも言える現象で、
明智光秀が織田信長を本能寺の変で討つ、
大内義隆に対して陶晴賢が大寧寺の変で討つ、
斎藤道三が美濃守護の土岐頼芸を追放するなどがこれに該当します。
ちなみに具体例であげた3つは全部創造PKの歴史イベントにあったりします。
今回のこれは宇喜多直家が浦上宗景を備前から放逐するというものです。

史実ではどうだったのよ?


信長の野望創造PK攻略 「厳島の戦い」浦上/宇喜多家中級プレイ3 [信長の野望創造PK]

祖父の仇討を描いた「復讐の狼煙」達成から再開です。
実は、ターンが全く進んでいなかったりします。

「復讐の狼煙」を達成すると、次の戦国伝が発生しました。
その戦国伝が「狙撃」です。
これは日本で初めて鉄砲を用いた暗殺が行われた事件を再現するもの。
その実行者は創造PKになって登場した遠藤俊通です。
イベント内では兵士が出てきて、モブの兵士がやっていることになっていますが。

この人の能力値自体は典型的な脳筋そのものなのですが、
持っている戦法は「狙撃」となっています。
今回のプレイでは幾度となく活躍することになる戦法です。

2015_05_14-22-06-04-153.jpg

暗殺を目論む直家。この考えは実に合理的でした。


前座をおしまいにさせますか……


信長の野望創造PK攻略 「厳島の戦い」浦上/宇喜多家中級プレイ2 [信長の野望創造PK]

今回から本格的に浦上家で攻略していきます。
が、前回に記した通り、宇喜多直家に浦上家を乗っ取らせて彼を天下人にさせます。

そういうことで、早速ゲームスタート。

と、同時に戦国伝「復讐の狼煙」が発生しました。
宇喜多直家の青年期は本当に残酷なもので、
浦上家のために尽くした祖父・能家が島村盛実に殺され、
父・興家は備前の豪商に頼るも病死して、
何もないどん底の状態にまで陥りました。
そんな直家は家臣と共に、賊のような略奪をして食いつないだこともあります。
また、兵糧を増やすために耕作をしたりしています。
ある時は断食をして食糧を節約したこともあります。

そんな直家は今回の開始時である1555年秋の時点では、
浦上家臣として功を立てて重臣の地位を得た状況にあります。
尤も、4年前の1551年5月の時点でも似たような状況にあるのですが……

2015_05_14-21-27-37-013.jpg

復讐の狼煙開始。最初は祖父能家の仇討から始まります。


直家の復讐法とは……


信長の野望創造PK攻略 「厳島の戦い」浦上/宇喜多家中級プレイ1 [信長の野望創造PK]

「天下布武」を新勢力で攻略するところから始まったDLCシナリオ攻略の旅、
第2弾となる今回は、
「厳島の戦い」シナリオを浦上家でプレイしていきます。
難易度など諸々の設定は前回と同じです。
今回の新勢力は、前回でも登場した
・備中国亀迫に魏(曹家)
・石見国浜田に呉(孫家)
・日向国門川に蜀(劉家)
・美濃国顔戸に鬼人家(前回同様謀反人とかで構成、城名は烏峰城)
・丹波国福知山に源家(頼光+頼光四天王で構成)
の5家に加えて新たに
・備前国金川に松田家(備前の豪族勢力)
・飛騨国帰雲に道道の者+十勇士の三好兄弟の勢力(大名はアリス・マーガトロイド、家名は人形師家)
の2家を追加しました。

2015_05_14-21-50-50-366.jpg

今回はなぜ浦上家を?


信長の野望創造PK攻略 「天下布武」新勢力(摂津国・高槻スタート)中級プレイ6 [信長の野望創造PK]

毛利家を滅ぼして島津家との戦闘を始めた頃に歴史イベント「信康事件」が発生。
今回のプレイにおけるこのイベントは本当に空気が読めていないですね(笑)
史実では織田家と徳川家は武田家と敵対していたわけですが、
今回のプレイでは両陣営は殆ど戦っておらず、むしろ仲良くやっていたりします。
特に織田家と武田家は全く戦っておらず、
上杉家が織田家打倒の連合を結成するまでは同盟を締結していたりします。
このイベントの結果、松平信康が自害し(史実では服部半蔵正成が介錯を努めました)、
織田家と徳川家の関係は同盟になりました(無期限なのは相変わらず)。
しかし、なぜか築山殿こと瀬名姫は生きたままです。不思議。
史実では築山殿も処断されたのですがね……

2015_05_14-08-29-30-251.jpg

信康事件のワンシーン。イベント鑑賞から見ると、信長は普通のグラのままなのですよね

天下平定、そして今回の振り返り


信長の野望創造PK攻略 「天下布武」新勢力(摂津国・高槻スタート)中級プレイ5 [信長の野望創造PK]

信長包囲網が組まれて、北陸方面を安定させたところから再開です。

東風谷家本隊は西進を本格的に開始。
備前国の宇喜多家と全国屈指の大大名・毛利との戦闘を開始しました。
このシナリオの開始時点では宇喜多家は存在しませんが、
時間経過で歴史イベント「下克上」が発生して、浦上家が宇喜多家に取って代わっていました。

備前国で4回会戦を行って、全て勝利(4回中3回が大会戦)。
1577年7月に宇喜多家を撃破、そのまま毛利領に攻め入りました。

2015_05_12-17-20-07-575.jpg

対宇喜多軍の大会戦の模様。大会戦の総大将には四角の縁がつきます。


2015_05_12-18-15-40-608.jpg

宇喜多家の救援に来た毛利軍との大会戦の模様。三国志連中が強くて笑えなかったです。

毛利戦の模様はコチラ


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。