SSブログ
前の10件 | -

信長の野望創造PKイベント イベント鑑賞リスト回収条件紹介1 [信長の野望創造PK]

創造PKのイベント鑑賞リストが全て埋まりました。いやぁ、かなり苦労した。
発生条件に癖のあるものもあったものでして。
今回は歴史イベントの発生条件を書いていきます。
戦国伝が発生することを前提に書いていきます。
今回は織田家で信長が家督を継ぐまでの12本を紹介します。

詳細はこちらからどうぞ


信長の野望創造PKデータ 母親武将というマスクデータ [信長の野望創造PK]

DLCシナリオ攻略の旅のプレイ自体はとうに終えているのに、
まだレポートを書いていくてごめんなさい。
ただし今回はちゃんと記録は残っていますので、後にレポートを出しておきます。


さて、そんな話はさておいて、特典武将である土田御前は織田信長の一門武将なのに、
信長の息子である織田信雄の一門武将ではない。
PKで追加された寿桂尼は今川氏輝、義元兄弟の一門なのに、
義元の子である氏真の一門ではない。
そんな現象に疑問を持ったことはありませんか。

自分は疑問に持ちました。
「武将によって一門かどうかが変わる? おかしい話ではないのか?」
と思ってなりませんでした。

しかし、そこにはちゃんと理由がありました。


信長の野望創造PK攻略 「天下三十将」新勢力(蝦夷国志苔スタート)中級プレイ5 [信長の野望創造PK]

今回は天下三十将を新勢力・古明地家で攻略した感想を書きます。

今回の最大の山場とも言えるところは伊達家との決戦です。
岩代方面の被害を抑えつつ本隊が素早く南下できるかが問われたのは
非常にスリリングでした。
立地と同盟関係を考えると岩代への後詰が期待できないという状況下において、
捨て身の覚悟で米沢城を攻撃、
2回の大会戦で小十郎らの防衛部隊と戻ってきた政宗らの侵攻部隊を
全て倒せた時は本当に嬉しかったです。
これができていなければ、クリアはもっと遅れていたと思っています。

今回は大会戦の回数が本当に多かった印象を持ちました。
伊達戦で7回、佐竹戦で2回、武田戦で1回、北条戦で3回、織田戦で4回の
合計17回もやっています。1回のプレイで10回以上も大会戦をやりませんって、普通。

PK要素と「天下三十将」シナリオの相性は


信長の野望創造PK攻略 「天下三十将」新勢力(蝦夷国志苔スタート)中級プレイ4 [信長の野望創造PK]

伊達家との決戦を制し、関東に進出して佐竹家を倒したところから再開です。

その後は1年間北条家の信用を稼ぎつつ内政して真田家に攻め込み。
東の1方向からでは時間がかかるので、忍城方面からも攻撃、一気に攻めかかりました。
国峯攻略の際に武田家の後詰も来ましたが、これは和睦+同盟6ヶ月で交戦を回避。
その間に一気に真田家を1627年1月に撃破。

織田家、本願寺家、今川家と同盟した後の1627年7月には同盟の切れた武田家と戦い、
9ヶ月でこれを撃破。
すると、北条家の動きが活発化して、越後と駿河に派兵。駿府城をあっさりと陥落させました。
そして春日山城を飲み込もうとする勢いにビビりました。
これに慌てて古明地家も同盟の切れた上杉家に攻め入ってこれを殲滅。

2015_06_09-23-33-27-198.jpg

武田家滅亡直後の勢力図。機内では羽柴家が大きな版図を築いているが?


北条、そして織田との決戦


信長の野望創造PK攻略 「天下三十将」新勢力(蝦夷国志苔スタート)中級プレイ3 [信長の野望創造PK]

奥羽を古明地家と伊達家で二分する状態になってからの再開です・

伊達家との同盟期限が切れた2ヶ月後の1623年4月、
伊達軍が岩城国の支城・須賀川城と陸中国の本城・高水寺城に進軍開始。
此方も横手城、雫石御所、花巻城に侵攻。
花巻、横手での大会戦3回で伊達の軍勢を次々と撃破してこれらを制圧しました。

2015_06_07-20-33-49-139.jpg

1回目の大会戦の模様。
この後2回目の鬼庭左月斎戦もほぼ同じメンバーで戦って勝利しました。


岩代方面で奇策を使うよ


信長の野望創造PK攻略 「天下三十将」新勢力(蝦夷国志苔スタート)中級プレイ2 [信長の野望創造PK]

早速新勢力で天下転覆を狙っていきます。

まずは南にいる鉄砲の国人衆を服従させて、南部家に工作。
開発は限界ギリギリまでしました。
そして1年が経過して、蝦夷侵攻を開始。
那須与一の戦法「狙撃」を使って敵を倒して城の耐久を減らして、
包囲する戦略を使うことにしました。
何せ第2回の宇喜多家、第3回の武田家プレイで狙撃の強さがクセになったものですので。
1618年冬には南部家の援軍も活用して蝦夷を制圧。
古明地家は戦国大名に成り上がりました。

2015_06_05-14-14-01-262.jpg

VS安東軍。敵将は廃棄物(エンズ)の土方歳三。
信長の副将は霊夢じゃなくて豊久にするべきだったと今更に思う。


奥羽の諸大名と戦っていきます


信長の野望創造PK攻略 「天下三十将」新勢力中級プレイ1 [信長の野望創造PK]

DLCシナリオである「天王山」と「織徳同盟」を顔グラセットと共に購入したことで、
全9回となってしまいました、このDLCシナリオ攻略の旅。
第4回となる今回の舞台は架空シナリオ「天下三十将」となります。

このシナリオはDLCシナリオで唯一全てのユーザーが無料でプレイすることが
可能なシナリオです。他のシナリオはすべて有料配信となっています。
信長の野望が30周年を迎えたことを記念に作られたシナリオです。
同盟関係は一切存在せず、外交姿勢が存在するのは群雄集結と同じですが、
大名と武将の配置は異なる時期の史実シナリオの配置と大名武将の縁に基づいています。
足利家で将軍家プレイが可能である他、
大名ではない武将が幕府役職を持っていることがザラだったりします。
例えば細川晴元が管領である、上杉憲政が関東管領である、
赤松義祐や島津貴久が守護職に就任しているなどです。
しかも、通常家臣なのに隠居武将という特異な状況にある武将が何人かいます。
一色義幸や赤松晴政などがこれに該当します。
国力は案外似たり寄ったりなので、出だしが良ければどの大名家でもクリアが
望めるという見かけ倒しのシナリオとなっているみたいです。
最初から群雄シナリオにおける中盤戦が展開されそうな状態からスタートするので、
敬遠していた節が自分にはあります。

それで、今回の担当勢力は?


信長の野望創造PK攻略 「長篠の戦い」武田家初級プレイ4 [信長の野望創造PK]

宿敵・織田家を倒したところから再開です。

織田家撃破後は信長側に付いた大名である一色家、別所家を撃破、
浦上家は従属させました。
赤松家からは姫路城を貰い、当の赤松家は毛利家に従属するも浦上家に倒されました。

宇喜多家と同盟して中国地方を素通り。そのまま九州攻めを開始しました。
今回は毛利家が小倉城を持っており、九州ではまだまだ群雄割拠の状況が続いていたので、
楽に攻略が進みました。

謙信が病で亡くなりました……


信長の野望創造PK攻略 「長篠の戦い」武田家初級プレイ3 [信長の野望創造PK]

長篠の戦いに勝利して徳川家が従属したところから再開です。

そのまま上杉家と北条家、織田家との決戦前に従属させた畠山家と白河家、
戦国伝達成で従属した徳川家を誘って反織田連合を結成。
ここに第3次信長包囲網が完成しました。
信長包囲網を扱ったシナリオが信長の野望シリーズにおいて
ほぼ毎回出てきますが、その大半が第1次信長包囲網と第2次信長包囲網を
混同していたりします。該当シナリオの開始年が1570年になっている場合が
多いことがその証左と言えましょう。

2015_06_05-10-58-00-430.jpg

信長包囲網、再び。今回は武田家が仕掛けました。


そこからすぐさま飛騨に侵攻して1576年1月に姉小路家を撃破、武将を補充しました。
徳川家に尾張の支城を、本願寺家に越前の支城を攻撃させて此方は美濃を強襲。
岐阜城に攻め込むと、
徳川家にカウンターをしていた織田家の部隊が引き返して来ましたが、これも撃破。
織田家が落とした岡崎城を奪った後に、濃尾平野を完全に制圧。
兵力が心もとなかったので、伊勢から攻撃。
兵力の回復を待って関ヶ原から近江にも攻め入りました。
関ヶ原付近での2回の大会戦で敵を全て撃退。
1回目は上杉家が制圧した大垣城への攻撃部隊、
2回目は近江の防衛部隊が相手でした。

織田家の落日


信長の野望創造PK攻略 「長篠の戦い」武田家初級プレイ2 [信長の野望創造PK]

早速攻略を始めて行きます。

ゲームを始めると、早速戦国伝が発生しました。
長篠の戦いを勝頼が仕掛けようとするのは史実通りですが、
この戦国伝はifのルート、つまり武田家が長篠の戦いに勝つことが目的です。
その達成のために真田昌幸が上杉と一時的に和睦することを提案。
これを承諾したことに伴って、同盟国の北条家とも話をすることになりました。

上杉家は信長が信玄の西上作戦を知って、一時的に和していましたが、
その上杉家は将軍家にたいして絶対的な忠誠を誓っていたのですよね。
その将軍家の仲立ちがあって、信長包囲網結成時に武田家と上杉家は停戦しています。
しかし、今回のプレイ開始時点で大名家としての将軍家は
信長に京を追われる形で既に滅んでいます。
昌幸はここら辺の事実を上杉家に話して、
「織田家こそ将軍家を利用して実権を簒奪した逆賊でございます」
と話を纏めたのではないかなと考えていたりします。
北条家に対しては
「織田家を倒すために上杉家と停戦したい。上杉よりも織田の方が脅威である」
と説明に向かったのではないでしょうかね。
北条家に話をしに行かなければならないのは、
恐らく越相同盟が北条家先代当主である氏康の死後破綻、
上杉家と北条家が手切れしていたからでしょう。

2015_06_05-09-27-49-799.jpg

勝頼に献策する昌幸。真田家当主は兄の信綱ですが。


2015_06_05-09-28-10-808.jpg

北条にも話をするよう忠言する内藤昌豊。越相同盟が破綻した背景を踏まえたものでしょう。


いざ、長篠の戦いへ!(かなり長めです)


前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。